リベラルと保守の距離

日経新聞から

2025年6月29日(日)朝刊②『直言』から

○記事からの引用

 見出し:「トランプ氏 ただの『乗り物』」「エリートへの不満消えず」「リベラリズム 失敗直視を」

  • 米ノートルダム大の政治思想学者パトリック・デニーン氏へのインタビュー
  • 皮肉なことにリベラリズムは「成功」するほどに失敗していった。
  • リベラリズムの危機が分断を生んでいる。
  • 選択の自由は幸福の本質ではない。正しい選択をすることが幸福の本質だ。
  • トランプ氏に投票した人々を差別主義者に過ぎないと見下すことに関心を払うのではなく、なぜこの現象が起きたのかを理解する努力をすべきだ。
  • 一種のノスタルジーのような、単に20世紀の初頭に戻るということではない。
    あらゆる領域で真に自由な社会を存続させるために必要な制度や慣行の再構築が必要だと考えている。
  • リベラリズムへの拒絶反応は世界的な現象だ。 ・・・ ナショナリズムがグローバル化しているという点は興味深い。

○所長の感想など

 自身をポストリベラリズム派と称する学者へのインタビュー記事で、巷での「保守化」「極右」が・・・的な言説とは異なる内容で、大変興味深いものでした。 

  • 民主主義国家ではそもそもリベラルと保守は分断されておらず、隣り合い、重なり合う部分があるものだと思います。
  • 第二次世界大戦後、現状から少しでも個人の自由や権利が尊重されるより良い世の中を目指して、一方向かつ長い間リベラリズムが進展してきました。その間、私もそうでしたが、殆どの人々は普通に「リベラリスト」だった思います。
  • しかしながら、いろいろな矛盾が生じてしまった。例えば、極端な「グローバル経済」など。
  • そんな矛盾に向き合いリベラリズムが、進んでいないからだと考える人(言い換えると「極端なリベラリスト」)と行き過ぎているからだと考える人(言い換えると普通の「リベラリスト」や「保守派」)がいるのではないでしょうか。
  • そういった経緯の中で、極端なリベラリストから見れば、立ち止まって考えようとか少しでも戻ろうという人でさえ「極右」なんてことになるのかもしれません。
  • 現実の人間界において、普遍的な正義でさえ実現できていることはそんなに多くありません。だから努力が必要ですが、個に加えて社会や集団を今より大事にしたいと考える人々の多様性も、極端なリベラリストの方々に受け止めてもらえるといいんだけれど、と思う次第です。

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